期間工にチャレンジしてみたい人は!ここから

期間工スパイラルから抜け出したい方へ 工場作業員から設計職への道

随分と更新していませんでした。

期間工カテゴリーとしては最後の投稿になると思います。→ もう少し充実させてみます。

そして最後は少々長めにダイナミックに一区切りつけます。

期間工の世界に入るとどうしても自分が従事した単純反復作業に精通することになり、 何か他のスキルが身に付くわけではありません。せいぜい工場で2交代勤務が可能ですといったぐらいでしょう。 

契約を満了して次の仕事を探そうとした時に感じることですが、何も資格がないため次の就職への目処が立たず、また期間工に戻ってしまう。このことを期間工スパイラルと呼んでいます。 

妥協して工場で二交代勤務の正社員を目指すのもありかと。

実際、最近働いたデンソーで知り合った30代後半(もう40近い)方が正社員になってました 。初めて出会った時から嫁子供がいて正社員を目指しているということを聞いていましたが、年齢的にかなり厳しいのではと心配していました。

けどそんな心配も杞憂で、LINE電話で最近連絡を取ったら「正社員になりました!」と言っていたのでデンソーで期間工から社員になれるのは20代までとか言われてますが、諦める必要はありません。30代後半でも正社員になっています。

私も正社員の試験を受けてみないかとトヨタの工場にいた頃、誘われましたが、私は自分がこの仕事は一生続けられないないと感じていたので登用試験を受けることはありませんでした。老齢になってまで界王拳100倍のような動きを毎日繰り出すことが私には到底無理だなという理由からです。

私と同じく期間工は一生続けられないと感じている方へ。

自動車産業のホワイトカラーの良いところはこれぐらいあります。

  • 土日は完全祝日
  • 肉体的疲労は少ない
  • フレックスタイム制(働く時間をずらせる)
  • 裁量労働制
  • 自席で茶すすりながら働ける
  • いつでも自由にトイレに行ける
  • いつでも自由に喫煙出来る
  • 8時間働いていれば、好きな時間に退社

それでは、以前の投稿で紹介したようにブルーワーカーからホワイトカラーへ転職することで、私なりに期間工スパイラルから抜け出す方法について紹介したいと思います。 ホワイトカラーに転職してこんなんだったよという話からです。ホワイトカラーもしんどい時期はあります。デメリットは人それぞれです。

私の転職事例

ちと長いです。お前の人生なんて一ミリも興味ない。早くそのスパイラル脱出方法を教えろという方は目次の方をタップもしくはクリックして下さい。読み飛ばせます。

あと経験マウントと取られても仕方ありませんが、期間工に戻りたくないという人は少なからずいますので、需要があるという観点から書いてみました。残念なことに頭は良くないんです。頭おかしいのでこんなこと書いてるんであって、頭良ければこんな人生歩んでないでしょう。

先に何故、高難易度スキルが求められる世界でやっていけたのかと問われると、コミュ力、フットワークの軽さ、時間を掛けた(残業し放題)、人の猿真似の応用、取りあえずその場しのぎで後から巻き替えす、この5つです。

それでは私の転職と設計人生の終焉までの一端ですが参考になれば幸いです。

これは私の実体験によるものです。運要素が大きなファクターを占めているので、マネするのはかなりリスキーです。出来るだけ後述している脱出方法を選んで下さい。

若い頃は、元々考えの甘いチャラチャラなギタープレーヤー志望だったので二十代前半は期間工で小銭が貯まると、 関東の方でマンスリーなどの部屋を借りてスタジオミュージシャンだったギターの師匠に師事していました。

契約期間満了と言う解釈があり、雇用保険で失業手当がすぐに出たのでギターを弾きながら数ヶ月間過ごすというのは可能。

ハローワークから紹介があれば面接にも行ってましたが、 ろくなものがないんで、期間工の募集がない時期は、友達が紹介してくれた横浜のお酒を提供する夜のお店で黒服などもやったりしたなー。

色んな所を立ち回り、バイトで知り合った若い子の小さなHiphopレーベルの専属ギタリストもやったりしましたが、音楽業界が様変わりして、DTMで曲を作るのが主流になっていき、スタジオミュージシャンなど需要は少なく、ジャズやっても間違いなく食えないので音楽から身を引こうと考えていた頃でした。

20代半ばにしてトヨタでエレカに乗って部品運搬をやっていた時期に少しだけ年上の専修大学夜間(二部)を卒業している人と工場内で親しくなり、この人から教えてもらった「まだプログラミングとかいけるんじゃね。」と言うアドバイスが元となり1年間の契約を経て、トヨタで期間満了後、また関東の方に向かいます。

幸いながら運よく、ベンチャー企業でしたがソフトウェア関連の会社に就職することが出来ました。大手のエンジニア派遣会社などではありません。めっちゃ小さな会社です。会社の売り上げは金融系ソフトの開発受託と、車載コンピューターの組み込み系開発受託、派遣、出向。私は11番目の社員でした。

この会社の採用条件はプログラミング未経験OK。社長より社員の給与が高くて何が悪い!望ましいのは自動車に詳しいことという一見変わった求人内容で怪しくはあったんですが・・・

そして本当にこの会社での上司はヘッドハンティングされた年収1000万のソフトウェアエンジニアでした。後日給与面での状況が一変しましたがそれはさておき。 

順当に行けばC言語を覚えて組み込み系のプログラマとして就労するはずだったんですが、職務経歴書に事細かく車の部位の部品名称などを加えて組み立てをやっていたと書いていたので車に精通していると思われたのでしょうか?

いきなりトヨタ自動車でECUというコンピューターを設計するシステム担当と言う業務に配属されました。愛知県にとんぼ返り。

このベンチャー企業への同期入社はみんなほぼ組み込みC言語コースです。 

正直なところ、今冷静に考えてみても、いきなりシステムエンジニアはありえません。 

まずソフトウェアやハードウェアの知識はほぼ素人並み。トヨタプロパー(正社員)に関しては、旧帝国大学の大学院出身。又、その方を支えるのはトヨタの部品メーカーから出向してきているバリバリの設計エンジニア。

私が従事したプロジェクトには先に豊田自動織機から出向してきていたハードウェア設計者が着任してました。 

私が着任した当初は本当に何も分かりませんでした。

マジで何も手につかなかった日がありました。

何したらいいのか解らないのです。イヤホントに!

けど初月の手取りは29万5千円でした。何もしてない日もあったのにお金くれるってスゴクないですか!

パソコンは一通り使えると思ってたのですが、プロパーから指示された簡単なものすら準備が出来ませんでした 。本当に何を言ってるのかわからなかったのです。聞き返そうものなら相当機嫌悪くなるし・・・トヨタ用語とはある意味呪文です。 トヨタ内での設計者のルールや文言も独特なものでした。

プロパーの時間は貴重です。当初は解らないことちょと聞いただけでも、激おこぷんぷん丸。今、回顧してみれば、設計経験者ならサルでも解ることを質問していたような気もします。

配属された当初はプロジェクトの進行具合が全く理解出来ていませんでしたが、今考えてみると結構絶望的な状況でした。トヨタプロパーが指揮を執っているといっても限界があります。この方の手駒としては、最低でも設計経験3年ぐらいの人間が3名必要でした。圧倒的に人工(にんく)が足りていませんでした。

もちろんトヨプロも限界の残業45時間は当たり前でしたが、ここで織機からの出向者が獅子奮迅の働きをみせました。私の教育係として面倒も見つつプロジェクトの立て直しを図り、自分が記憶している分や手帳に書いてあることは持ち帰って宿題していたのです。

そんなこんなでしたので、いくら怒られようとなんとか粘り強く、しぶとく環境に適応しようと務めたので切られることもなく初めのプロジェクト(フルモデルチェンジは数年間という長いスパン)は乗り切ることができました。 

これでなんとかここで生きていける地盤固めのようなものが出来たのです。

この頃にはプロパーも随分と優しい方に変貌していました。傍からみても相当優秀な方で本来、怒りを周囲にぶつけたりする人ではなかったんですが、このプロジェクトが鬼気迫る案件だったので余裕が全くなかったんです。(というのは私の自己分析)

初めて担当した車両でしたが、最後にZ(部品メーカーからは神と呼ばれる製品企画室)のCE(チーフエンジニア)から飛んできたメールを見たら「トヨタでも10年あるかないかの大仕事」(ニュアンスは変えてます)とあり、末端ながらもL/O(ラインオフ)したときは感慨深いものでした。

この出向先のプロパーからはミスターワイヤーハーネス(W/H)と呼んで頂きましたが、トヨタの縦割り行政には辟易したものです。

MEMO
ワイヤーハーネスとは車の中を這っている配線のことを指します。人間に例えると血管ですね。太いものから細いものまで様々な用途の配線が車には載っています。

W/Hを設計する主観部署は別にあるにも関わらず、ECU担当の私がある一部分の橙色の配線を担当しなければなりませんでした。

幸い私の部署にも1人だけベテランの女性トレーサーがW/Hの配策をやったことがあったおかげで首の皮一枚繋がったわけですが、 マネジメントの都合で知見のない人間にやらせるということはリスクの押し付けで、高い割合の危うさしか生まないと誰でも解るはずです。

この辺が当時のトヨタの開発現場の病的な体質だと考えています。大企業病と解釈していました。部下の仕事や工数が増えるのを非常に嫌がるのです。

保身の為なら出来るだけヤバい案件は避けたいというベクトルが働くプロセスは理解出来ますが、こういう体験があってか少なくとも、こんな人間よりもより高潔でありたいという心情が私には醸成されました。

エンジニアの心構えとしては、良くないのですが、出来ませんという答えは返したくなく、リスクヘッジという対応は考えることもせず、誰もやりたがらないような無謀な案件に自ら志願していきました。

出来るエンジニアといのは、その案件が自分のスキルで指定期間内に達成可能かどうかザックリと目算が立てられる人です。スパッと「無理です」とお断りするのも賢い生き方だと思っています。私は「俺がやらなきゃ誰がやるんだ」という義憤に駆られて貧乏くじを引くタイプです。ハッキリ言ってバカですね。

労働時間を調整できるなと感じたのは最後の1年だけ。ただ働きだした当初から朝一から会議や出張などなければ、10時出社。フレックスタイム制という労働形態です。

その他の時期はずっとデスマーチ状態でした。大体月平均80時間の残業。

私の目の前で夜中の1時ごろ椅子から崩れ落ち、救急車が呼ばれ担架で運ばれていった方もいましたし、超タフなお偉いさんは、私が金曜日の夜(正確には土曜の朝)4時頃に報告書を書きに戻ってきたころ余裕で評価試験をやってたり、近場のシステムのサプライヤー(部品メーカー)さんは過労死したりとオーバーワークが当たり前の世界。

ワーカホリックになってしまったのは、ヤバいプロジェクトやデスマーチといった修羅場にこそ自分を成長させる種が転がっていて、種が芽吹いた際の成長度合いは計り知れないことに気づかされたからです。

今思い出しても、スキル的に、人間的に著しく成長した年月でした。気付いた時には多くの領域でたくさん仕事をした分、周囲のエンジニアより抜きんでた得意分野を幾つか身に着けていました。

ただこんなだと、自分の健康を顧みることはありません。もちろん死にかけもしました。あまり眠れてなっかた週のある朝、階段を昇ったら胸がキューッと締め付けられるように痛いんです。これは心臓発作の兆候で、俗に過労死と言われます。

そういう時は会議や打ち合わせに出ていることにして、トイレで眠るんです。そういえば、毎朝毎朝、トイレでリバースしていた人もいましたね。どんだけ体調が悪いのか?もしくは、ストレス抱えているのか?と心配でしたが・・・

この後、水素を燃料とする特殊車両の担当をし、その車両が落ち着いてきたころに、新しくフルモデルチェンジ1車種と並行しながら法規を見越してハードウェア部品をすべて見直す担当に従事して設計業務は退きました。

約10年前ぐらい、30代前半のこと。 

最後の単価(時間給)は3650円だったはずです。自社に入ってくるお金なので全ての金額が給与に反映されるわけではありませんが、まず期間工では届かない数字。瞬間的な期間工3年目の休日出勤の時給でも。期間工は3年目が限界点。

40時間の残業をしたとしましょう。残業代1.25倍、深夜手当1.25倍など考えずにざっくり算出しても3650×200=730000円となります。これが自社に入ってくるお金。周りを誘って独立してマルっと懐に入ってくるようになれば、結構な年収額になるんじゃねーかとよく考えたましたよ!

仕事には心血注いでいたので辞めたあと実はとても気になり、国土交通省のリコールサイトを頻繁に確認していました。その後、中にいる人に聞いて確かめましたが、私の設計で不具合は起こらなかったようです。

退職した理由ですが 5つあります。大きくは3つでした。家庭の理由、 出向先、自社。 

  1. 田舎の家族の病気。頻繁に車で通院しなければなりませんでした。
  2. リーマンショックで人員整理したがっていた。
  3. エンジニアとしての伸びしろがもう見込めない。
  4. 給与や賞与がろくに出なくなった。(みなし残業の固定給に変わった)
  5. マネジメントをやらないと自社では出世しない。 

事細かく説明するのは今回の投稿の内容とは関係しないので割愛します。 

期間工スパイラルからの脱出方法

私は運良く資格などなくても転職できましたが確実に転職を図るなら資格取得をしておくことが非常に有利です。日本で一番お金をかけずに有利に転職する方法として職業訓練校を活用するのがベターです。 期間工スパイラルから抜け出すにはこの方法が最も適切かと思われます。 

ただし職業訓練校の科よっては30歳以下などという年齢制限が設けられているので、年齢制限に達しているのであれば、訓練校は諦めてお金に余裕を持って、民間のスクール学校という選択肢もありです。 

とりあえずベースは職業訓練校に通うという体で説明していきます。 

STEP.1
期間工でお金を貯める
貯金がいるよ!
STEP.2
契約期間
1年だね!1回だけ契約更新だ!
STEP.3
職業訓練校
入校願書を出して試験に受かろうね!
STEP.4
通学
授業は16時で終了!ヒャッハー!
STEP.5
資格
意地でも取得するべし!
STEP.6
就職
斡旋してもらう!もしくは自分で探すのもありだよ!

これでブルーワーカーからホワイトカラーへの転身が可能です。

タイムラインの順に細かく説明してみます。

貯蓄は必須

これは無理なく資格を取得するまで必要になる資金の確保です。

場合によっては部屋を借りる必要があるかもしれません。

新しい生活を始めるために家具や家電が必要になってくるかもしれません。

学校に通う交通費や移動手段として車やバイクが必要かもしれません。

職業訓練校の授業は無料といってもテキスト代や資格受験のための費用が必要です。

目安としてですが、期間工として1年働いて、200万ほどの貯蓄があれば余裕だと思います。 後述しますが生活費は訓練校に通うことで失業給付と同じ額が卒業するまでもらえます。 

1年以上という理由

これは雇用保険の受給資格と関わってきます。1年以上雇用保険に加入していないと雇用保険の受給資格はありません。当面の資金とある程度余裕のある生活費を確保する上で必要だと考えます。

ですので期間工の多くは半年契約なので一度は契約更新をする必要があります。あと辞める時期に関してですが職業訓練校はほぼ4月から始まります。

失業手当をもらいながら職業訓練を受けるための必要要件として給付日数の残りが足りないと基本手当(失業給付)が受講中もらえないという事態にもなりかねませんので、満了する時期をあらかじめ計算しておく必要があります。 

生活費の確保という面で重要なポイントですので必ず確認しておいた方が良い事項です。

入校のための試験と面接

これは以前投稿しましたので以下を参照してみてください。
アイキャッチ画像 職業訓練校の学科試験と面接の対策

訓練校での授業 

大体6ヶ月から24ヶ月にかけて授業が行われ、中は受講中に資格試験を受けることがあります。余裕があれば訓練校について投稿していきたいと思います。 

資格とは適格者ということ

資格を取ったからすぐにプロフェッショナルというわけではありませんが、就職に際し、その分野の資格は必須であるという条件は多く見られます。

これは絶対条件です。

職業訓練校の先生たちはその資格取得と就職のため全力を尽くしてくれます。 かなり恵まれた環境で勉強に励むことができるので、しっかりと言われた課題をこなしていれば、 資格取得は容易だと思います。

これが働きながらとか言うとまた別の話になってきますが 、ある程度のお金をもらいながら専門分野の勉強ができるので生活に不自由することもなく資格取得に邁進することができます。 

就職先について

ちなみに職業訓練については厚生労働省管轄になりますので、履歴書には職歴の欄に記載します。文部科学省管轄の学校、いわゆる小中高、高専、大学、大学院が学歴です。

訓練校ならではの求人が寄せられます。 なので資格を取得しているという条件のもとであれば就職はかなり簡単です。

もちろん自分で探してきて就職してもいいのですが 、職業訓練校のモットーとしてどれだけの人たちを就職まで導けるかということがミッションになっているので、必ず就職をしなければなりません。就職しませんという選択肢はありません。卒業後も3ヶ月間は就職のフォローが入るはずです。 

オススメの職業訓練

自動車産業でのモノづくりの延長線上という履歴を踏まえて考えてみると、一番ハードルが低いのは3D-CADです。自動車業界は以前バラバラのCADシステムを使用していましたが、私が設計に従事していた頃にはほぼ、CATIA V5(キャティア ブイ ファイブと読みます)というソフトに移行しました。

トヨタ、ダイハツ、日野、ホンダ、スバル、三菱がCATIA V5、日産、マツダ、スズキがNXです。クリアランス(必要な間隔や隙間のこと)などを重視する精密部品によっては異なるソフト(Creo Parametric)を使用している部署もありますが、まずはCATIA V5で大丈夫です。 

CATIA V5に置き換わる前の当時は、統合CADというトヨタ自前(内製品だったはず)のCADソフトが使用されていました。

その時はトレーサーさん(オペレーターとか呼び方は色々)と言われる女性の方にモデリングをお願いしていましたが、新しいプロジェクトでかなりの部品点数を受け持った際 、自前で何とかするしかないという状況に追い込まれたのでCATIA V5(社内講座とアカウントをもらうモデリング試験がありました)を使用して外注サプライヤーさんに出図していました。 

前述したように女性の方がCAD業務に従事していた割合が高かったです。 もちろん男性もいました。かなりの凄腕はザクの頭をモデリングして目を動かして遊んでいましたね。

システム屋の私にはそんな時間はありませんでした。ソフト、ハード、ECU、アクチュエーター、コネクタ、通信仕様、W/H、搭載要件、この辺を統合してシステムとして成り立たせるというある意味何でもできないと通用しない厳しい世界で時間的余裕など皆無でしたので。タバコ( ´ー`)y-~~を吸う時間すら惜しかったので禁煙出来ました。

まとめ

他にも自動車関連のホワイトカラーで言うとマイコンでの制御プログラミングを行う組み込み系のC言語(確か容量の大きなカーナビなどはJavaもある)や電子機器、制御基板、回路設計などのハードウェア設計、工場での生産技術、設備設計、品質管理があります。

地元が地方で工場しかないという場合であれば生産技術系の職業訓練の方が就職には有利でしょう。

地方には設計エンジニアという職種の求人はかなり少ないです。工場の中でもユニット型、コンポーネント型の設計に携わってる方がいるみたいですがかなり狭き門です。設計職であれば東名阪の大都市で就職した方が年収的にだいぶ違ってくると思います。 

近年は自動運転の開発に力を入れているという動きがありますが、求められるスキルが高い上に高学歴であるという必須条件も考えると期間工からの選択肢としては難しい領域です。

私がいた部署で新しく配属された1人目の子は東京大学大学院卒、私が辞める時期ぐらいに配属になった2人目は京都大学卒業後、東京大学大学院卒という学歴でした。ね!無理っしょ。

でも私が尊敬していた方で例えるとソフトエンジニアであれば、他社協力会社だった方。最終的学歴は高卒。初めはパチンコのロムのプログラムから職歴を重ねていったそうです。ハードエンジニアならトヨタの設計委託会社に在籍していた方。最終学歴は中卒。東芝系からの転職組でした。

どちらとも地頭がいいんです。人を納得させるだけの論理的思考がずば抜けていました。私など足元にも及ばない。

学歴でいうと極端な例ですけど中で働いてみると決定的な実力差が浮き彫りになります。プロパーの院卒は確かに万能感はありましたが、突出した異能の才を身に着けている方は希薄だった印象が強いです。

自動車業界とは全くの異業種を目指すという選択肢もりますが、この場合、サラリーは全く期待出来ません。かなりの割合で期間工の頃より手取りは落ちます。

それでも構わないならIT業界でWEBプログラマーやWEBデザイナーなどもいいかもしれません。(これ適当に言ってます)けどこの業界は30代前半でもう嫌がられるみたいです。

私はこの年になって訓練校で自動車整備科にいきました。車が大好きな人は行ってみてもいいでしょう。車に興味のない人はオススメ出来ません。

雇われでは給与水準の低い業界です。2級整備士になれば、独立開業出来ます。車検は別途、検査員という資格が必要です。

最近、地方で正社員をやってみたのですが、周りと仕事に関する考え方の隔たり、乖離は想像以上に大きかったです。

残業はしたくない。なるべく楽をしたい。めんどくさい。なまけ癖。突発で月に何度もお休み。など挙げればきりがないですが、会社の売り上げに貢献しようという気迫は微塵も感じられませんでした。

まあ私の地元が九州でも名だたるクズの集合体地域であることも要因の一つなんですけどね。

幾らがんばっても給与が上がらないということを悟り、生産性の向上に寄与する人はほとんど皆無で逆に私は会社内ではマイノリティな存在でした。

もうあきらめの境地達しているいる人がほとんどです。その方たちの境遇は理解出来ます。子沢山です。4、5人子供がいると会社への貢献より生活の為、家庭重視にならざるを得ない。

アフリカで子沢山というのはよく聞きますが、実は自分の寄り身近なところで、それは起こっていました。地方の低所得者層で結婚している方は、何故か子沢山が多い。

他所(よそ)様の家庭のことなので、とやかく言う立場ではないですが、この子供たちが高度な教育を受けられるチャンスはたぶん針の穴ぐらい小さい。そしてまた親と同じ境遇の低所得労働に隷属させられるのかと考えると不憫でなりません。この子達に会って挨拶して、遊び相手になってあげたりすると情が湧くものです。

そして地方は産業構造が歪(いびつ)です。あらゆる分野が建設業界のような重層下請け構造化してしまっているので、サラリーマンの平均所得、生涯収入はまず望めません。

サラリーマンで将来的に最低限の余裕ある生活を望むなら、転職時には出来るだけ上層の発注元大企業に籍を置きましょう。初めは正社員じゃなくてもいいと思います。

大企業で正社員以外の雇用形態は契約、派遣、請負、受託など色々ありますが、まずはそこで仕事の在り方を学んで下さい。それから大企業傘下の一つ下のクラスぐらいだったら正社員として再度転職可能です。

最後に

プログラミングや回路設計を勧めないのは、人によりかなり向き不向きがあると自分が感じているからです。

ソフトは子供の頃、NECのPC98というパソコンでMS-DOSというOSを使っていたので、コマンドプロント、コーディングなどにアレルギーはありませんでした。実務では組み込み系C言語。私は内製、外注のソフト担当へ仕様書を出すポジション。ソフト領域では、初めオブジェクト指向という概念に振り回された記憶があります。

コーディングをやることはまずありませんでしたが、よく評価や試験の段階でソースコード全体を眺めて、変数の間違いがないかなど確認をしながら構造体や関数を覚えていきました。

ソフト屋がやっていた仕事の流れはざっくりこうです。

仕様書を読み込んでプログラミングに落とし込む → コードを書く → コンパイル、デバックする → マイコンにソフト上書きしてベンチ試験 → 問題なければ試作車に投入して評価、実験。

この繰り返しです。

ハードは基板に素子をはんだ付けして自作のギターアンプリファイを作ったりします。実務で関わりがあったのはECU制御基板、三相交流、コンバータなどですが、こちらはそれほど深くは関わり合いがありませんでした。知識や経験として身についたのは、浅く広くといった感じです。というかお任せですね。素人の私よりすごいジーニアス(天才)が一杯いたので。

ソフトに偏重したのは、どうしても自社がソフト開発という業務が主であったため、同期との週末の勉強会や上司から教わることもソフトがメインだったということが起因しています。

トヨタのエンジニアの偉い人から聞いた話ですが、ハードの知識や設計は仕事を始めてから覚えたと簡単に言ってた方もいらっしゃいました。

私は回路よりもおまけで必要になった付属品をたくさん設計しました。W/H、筐体、ノイズシールドカバー、コネクタ、端子、ヒューズ、BKT etc.車両部品ですね。

ただ、設計職を辞す時に他社協力会社からデンソーでインバータの設計やってみないと誘われはしました。その案件受けてれば、ソフト、ハード極めていたかもしれません。

オールラウンダー気取りで恐縮ですが、ソフト、ハード共に興味や素養がない人は挫折する確率が結構な具合で潜んでいると今までの経験則上申し上げたいのです。

練習(数週間の自社勉強会みたいなもの)は出来ても実践やったことない人がいきなりソフト開発の現場に放り込まれて2~3ヶ月間、時間を与えてみても何も出来なかった、一つも成果がないという人を自社、他社含めて大勢みてきた過去の体験がそう言わせています。

期間工は車両本体や部品を毎日扱っています。なので上位互換として直接視覚に訴えるモデリングが最適解だと結論付けました。CADは女性が多かったという点も比率的女性の期間工が多いデンソーの期間工に結びつきます。

それでは期間工の話はこれにて結実です。 → まだ足りないと感じる分を投稿します。

期間工に見切りをつけた方が、 読んでくれたらなと切に願ってます。

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