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【ネタバレあり】All Eyez On Me(オール・アイズ・オン・ミー)を観てきました

前回の投稿で食事に出かけた時に待ち合わせていた博多駅に併設しているアミュプラザであるフリーペーパーを手に入れました。

タワーレコードが毎月発行しているbounceという雑誌です。

毎月の話題作や新譜、色々な音楽ジャンルの特集などフリーペーパーとは思えないほどのボリュームがある雑誌です。

昔は毎月手にしてましたが今は店舗の減少により滅多にお目にかかることがありませんでした。売り場面積も昔のタワレコに比べるとスゴク小さく縮小しています。

かなり昔に坂本龍一氏は「音楽は録音された音源となる音楽マテリアルを売って利益を出せなくなる」といった趣旨の予測していましたし、私も15年ぐらい前にiTunesをインストールしてmp3で聴くようになって円盤の時代は終わったと確信しました。

で、この月の表紙が足を止めて目を見開くぐらい驚きの人物でした。

 

リアルタイムで聴いていたHiphopミュージシャンであり25歳で射殺されたギャングラッパー2pacでした。

2パック(トゥーパック、英:2Pac、本名:トゥパック・アマル・シャクール(Tupac Amaru Shakur) 1971年6月16日 – 1996年9月13日)は、アメリカ合衆国のヒップホップMC、俳優である。ニューヨーク市マンハッタン区ハーレム地区出身、アフリカン・アメリカン。「トゥパック・アマル」は、古代インカ語で「輝ける龍」の意味(インカ帝国最後の皇帝トゥパク・アマルと、彼の2代目を自称し反乱を起こしたホセ・ガブリエル・コンドルカンキ(トゥパク・アマル2世)の名前から)。身長180センチメートル。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第86位。

 

またエミネムがトラックに関して権利を持っている中からミックスでもして新譜が出るのかな?と思ったら彼の生涯を追った映画が公開されるとあるじゃありませんか!今までは2pacのドキュメンタリー作品はありました。

 

約10年振りぐらいに博多で昔の同僚と再会する時にさらに昔よく聴いたミュージシャンの伝記映画の公開を知ったのは何かの啓示。これは観るべしと決めました。

【ネタバレあり】永遠のジャンゴを観てきましたの時もそうでしたがまた近場では1館でしか公開されてないという映画。で、永遠のジャンゴと同じく今度は上映最終日に気付きました。危ない危ない・・・

 

しかも気付いたのが夕方だったのでレイトショーじゃなかったら見逃していました。

という訳で夜だろうが関係ない。T・ジョイ博多へ行ってきました。

 

レイトショーなので多少安かったです。上映まで時間があったのでウロウロしていると展望ラウンジ発見。ここでゆっくりしていました。

【ネタバレあり】All Eyez On Me(オール・アイズ・オン・ミー)を観た感想

 

All Eyez On Me(オール・アイズ・オン・ミー)は2pacが生前最後にリリースしたアルバムです。それが映画タイトルになっています。

ストーリー内容に触れながらその場面で使用された2pacのトラックも紹介し、拙い感想を書きます。映画の内容を知りたくない方は読まない方がイイです。

幼少期から青年期

冒頭は2pac本人が刑務所で服役している時にインタビューを受ける場面から始まります。

2pacの母アフェニ・シャクールはブラックパンサー党員で200以上の罪状で服役し、監獄にいた頃は妊娠中。2pacは生まれる前から監獄にいたというビックリでエグイ話から引き込まれました。

ブラックパンサー党は60年代黒人の公民権運動盛り上がりと共に結党された超過激な組織。フォレストガンプという有名な映画でも一部出てきますが、武力闘争も辞さないという理念が強く警察やFBIからは弾圧の対象となります。

ブラックパンサー党(英: Black Panther Party, BPP)あるいは日本語で黒豹党(くろひょうとう)は、1960年代後半から1970年代にかけてアメリカで黒人民族主義運動・黒人解放闘争を展開していた急進的な政治組織。1966年、カリフォルニア州オークランドにおいてヒューイ・P・ニュートンとボビー・シールにより、都市部の貧しい黒人が居住するゲットーを警察官から自衛するために結成された。共産主義と民族主義を標榜しており、革命による黒人解放を提唱し、アフリカ系アメリカ人に対し武装蜂起を呼びかけた。また、貧困層の児童に対する無料の食事配給や、治療費が無料の「人民病院」の建設を行った。日本では、かつて新聞などで「黒豹党」と呼ばれることが多かった。

継父もブラックパンサー党員で幼少期FBIの家宅強襲を受けた時、母に覆いかぶさられその目に映る光景は少なからずその後に影響したことを伺わせる描写でした。

ボルチモアに逃れ演劇を志しジェイダ・ピンケット=スミス(現ウィル・スミスの妻)と生涯共に信頼しあえる表現者という仲であったけど生活の困窮からサンフランシスコ・ベイエリアへ移住。

しかしジェイダ本人はこの映画は事実でないと酷評。2pacとはドラッグ・ディーラーとしてストリートを共に生きる仲間として意気投合していたと告白しています。

元ドラッグ・ディーラーの過去を持つセレブ

映画の描写はハッキリ言って恋仲としかとれない雰囲気でした。「なんでこの地を離れなければなんないんだ!」と母に訴える2pacからはこの時期俳優を目指したかったという気持ちが汲み取れます。

もしかしたらここが彼の人生の分水嶺だったかもしれません。西へ向かってなければ、俳優もしくはイーストサイド(東海岸)のMCとして活躍していたのかも・・・

Hiphop MCとしてデビュー

母はクラック中毒(コカインを固化したドラッグ)ながらも妹の面倒をみながらラッパーとして少しずつ成長を遂げる2pac。デジタルアンダーグラウンドというグループでMCニューヨークとしてデビュー。「MCの後ろで盛り上げ役だけか!」と憤慨して自らレコード会社重役を説得。しかしレコード会社からはこの曲は外してくれとの注文。

2pacはまだこの頃、自分はゲットーの代弁者であることを強調。この辺は2pacの表現者として一歩も引かず如何に自らの思いを発信したいかという熱意が込められている場面でした。

 

リリック(歌詞)は親戚に強姦され子供をゴミ箱に捨てたというニュースが元でレコード会社側は不本意だったもののデビュー時の2pacの代表曲に。

ウェストサイド(西海岸)ではギャングラップが台頭し、社会的な問題として取り上げられる中、2pacもビッチ(尻軽女)という歌詞を大層使用していたことから槍玉に挙げられますが、意外とフェミニストであるという側面もこの映画では強調していました。2pacは自分への批判に対して多くの女性へ送るエールで持って応酬。

 

http://luckyyygirlll.blogspot.jp/2010/10/keep-ya-head-up.html

↑ Keep Ya Head Upのリリックを紹介されているサイト。映画紹介のHIPHOPスペシャルハイライトでも一部リリックの訳が付いています。

裁判から獄中期

その後、警官(非番)が突然道行く人を暴行し始めた為に狙撃した件やギャングにハメられ強姦疑惑に問われ法廷闘争に。

この辺りから観ている側としては2pacは好む好まざるとは関係なくThug(サグ = 悪党)へと変貌していきます。メディアからの論評で作られたイメージに乗っかるように。

そしてこの公判2日前に銃撃を5発(頭に2発、股間に2発、手に1発)受け瀕死の状態になってしまいます。何処まで細部に描かれているのかは想像しても分かりませんが、こりゃ死ぬだろうといったレベル。

しかし裁判には車椅子で予定通り出席。どんなに屈強な人間でも血が抜けると身体に力が入りません。この点ミュージシャンとしてではなく人間としてのタフネスさに脱帽しました。

判決の結果4年半の懲役を科せられ刑務所に服役します。この映画にはなかった話ですが、獄中でマキャベリの「君主論」に啓蒙され、アーティスト名義をMakaveliに変えたという事実があります。よくマキャベリの思想をマキャヴェリズムと転じて、「目的の為には手段を選ばない」と解されます。

映画の中で獄中、強調されたのは親交のあったノトーリアス・B.I.G.(ビギー)のリリースした”Who Shot Ya?”(誰が撃った?)という曲を聴いて激昂。自分を撃ったのはイーストサイド側のレコードレーベルのバットボーイ勢と思い込んでしまいます。銃撃された現場にはパフ・ダディやビギーが居合わせたことも起因しています。

実際には映画でも描かれていますが、2pacへの銃撃は強姦疑惑でハメたギャングがメディアを利用してコメントした2pacに対しての報復だった可能性が濃厚です。

友情が終わり ヒップホップ東西抗争は始まった

ここがHiphop史では必ず語られる東西抗争の起点となりこの2人が全面的に矢面に立った構図が出来上がります。

当事者達は東と西のレーベル全ての両勢力での大きな争い事とは考えておらず、個人間でのBeef(ビーフ = 誹謗中傷、けなし合い)合戦、ディスられれば、ディスり返すという報復のし合いだったのが的を得ていると思いますが、映画では西の大物スヌープ・ドッグが日和見主義のようなことをラジオでしゃべった為、2pacの怒りに灯を注ぐ描写もあります。

出所してカルフォルニアへ

手段を選ばなくなった2pacは当時ウエストサイドでは最大だったヒップホップレーベルDeath Row Records(デス・ロウ・レコーズ)と契約。設立者シュグ・ナイトから保釈金を用立ててもらいます。劇中でもヤバい凄みを見せますが、シュグ・ナイトはBloods(ブラッズ)というギャングに関与している人物。

そして出所前に母アフェニ・シャクールと面会し、刑務所を去る際には収監される前にリリースし、獄中で全米No.1になったアルバムからこの曲が劇中で流れました。

Even as a crack fiend, mama. You always was a black queen, mama (クラック中毒のママだったが俺にはブラッククイーンママだった)

私はここのフロウ(歌いまわし)が特に好きでした。イタリアの男性と黒人の男性はよくマザコンだといわれます。

 

この曲はサンプリングネタとしてはとても有名で2pacの素晴らしいセンスが伺えます。

元ネタはJoe Sample(ジョー・サンプル ジャズ/フュージョン系ピアニスト)作曲のIn all my wildest dreamsという曲で多くのミュージシャンがこの曲を元ネタとして使用しています。

 

ギターを弾いているのはDavid T. Walker(デイヴィッド・T・ウォーカー)です。レコーディングに参加して名前がクレジットされているだけでも2500作品以上というギネス級でスタジオミュージシャンとしてはレジェンド!

ニュー・スクール期のヒップホップグループDe La Soul(デ・ラ・ソウル)が一番初めにサンプリングして使用したのが元だと思われます。私と同じ世代の九州の人なら知っているかもしれませんが深夜MTVを流していたMoon Walkers TVという番組があって曲と曲の間にこのWRMS’ Dedication To The Bittyが使用されていました。

 

その他サンプリングネタとして使用された曲を貼っておきますので気に入った方はどうぞ!

Anthony Hamilton Video (Unreleased) – “I Will Go” Feat: Terri Robinson

TQ – Westside

Dave Hollister – Keep Lovin’ You (Remix) ft. AZ

Louis Logic – Idiot Gear

Toni Braxton – What’s Good (Audio)

 

少し横道に逸れてしまいましたが、2pacは保釈後カルフォルニア州ロサンゼルスへ居を移します。ここで流れたのがこの2曲です。2pacはヒップホップ史上では初の2枚組、そして自身が生存している内にリリースされた最後のアルバムとなるAll Eyez On Meの製作に着手します。

 

To live and die in LAはロスに生きてロスで死ぬという東部ニューヨーク出身の2pacからすれば、決意表明の現れだったかもしれませんが、死んだ直後よく自らの未来を予見していたのでは?というライターの文章を見かけたものでした。

生涯で最後に立ったステージはHouse of Bluesという場所でこの時期にはクインシー・ジョーンズの娘キダーダと付き合っていました。この時の劇中歌は2曲。

 

このHit ‘Em Upはディスソングの中でもやっぱり強烈です。バッドボーイキラーとまで言い放っているし、お前の嫁とやったなど散々に侮辱する2pacと客演のOutlawz(アウトロウズ)。

こういう演出の仕方だともう初期のゲットーの代弁者たる姿はなく、欲と憎悪に取りつかれ大衆受けするモンスターに変わり果てた主人公がとうとう殺し合いの戦端を開いちゃったという目でしかみれませんでした。

凶弾に倒れる最後

マイク・タイソンの試合を観戦後、シュグ・ナイトの車に乗った2pacですが、横付けされた車からの4発の発砲で6日後に永眠します。1996年9月13日25歳でした。

まだ容疑者は捕まっていないとラストの字幕には表示されます。映画にはありませんがノトーリアス・B.I.G.(ビギー)も翌年射殺されました。

ビギーに関してはすでに映画化されています。この映画でビギー役のジャマール・ウーラードが同じく演じています。

2pac 死の真相は?

リアルタイムで聴いていた時期にはシュグ・ナイト黒幕説が多数を占めていました。当時の関係者が口をつぐんだ為、色々出てくる説に踊らされずっと真相は闇の中だったわけですがこの映画の公開がきっかけか最近また当時を知る人たちが証言しはじめたようです。

重要な部分を引用します。詳しくは各サイトを覗いてみて下さい。

まずは黒幕に押し上げられてたシュグ・ナイトの大胆発言。ちょっとこりゃないんじゃないと思ってしまいます。

シュグいわく「本当の標的は2Pacではなく自分自身」で、「ドライブバイ(車中からの狙撃)を企てて殺害したのはシュグの前妻シャリーサと、当時デス・ロウのセキュリティチーフだったレジー・ホワイト・Jr.だ」と主張しているというのだ。

シュグ・ナイトが2Pacの死の真相を語り始めた!? 犯人扱いされた前妻はブチ切れ、息子は「この告発自体がデマ」とドッチラケ

 

次にDeath Row Records(デス・ロウ・レコーズ)の元ボディガードの証言。 上の方でシュグはBloodsというギャングに関与している人物と書きましたが、そのBloodsと対立している組織がCrips(クリップス)です。

2Pacが所属していた<Death Row Records(デス・ロウ・レコーズ)>の元ボディガードが、2Pac殺害に関する新たな情報を明かした。先日<デス・ロウ>のボスだったシュグ・ナイトが獄中で真相について証言したことが波紋を呼んだが、再びこの事件に当時の身内から新たな視点が加えられたことになる。

彼の主張の中で最も注目すべきなのは、「2Pacの死はHIPHOPの東西抗争が原因ではない」という点だろう。

そもそも音楽ビジネスはギャング仕事に比べて最高の稼ぎ口であり、簡単にムショ送りになることもなければ、クスリの売人家業と違って扱う金自体がクリーンである。彼いわく「音楽が原因で殺し合うなんてことはあり得ないんだよ。それは世間がそう見ている/そう見たいだけさ」とのこと。

「得意なことで金を稼げるのは、ありがたいことだと思ってた。自分のライバルたちと張り合って、それが商売になるんだ。最高じゃないか。東と西、両サイドとも“そういうこと”だったんだよ」

当時カリフォルニア州コンプトンで、赤をチームカラーとするBlood Piruというギャングに所属していたというモブ・ジェームズ。このBlood Piruと、<デスロウ>と対立関係にあったSouth Side Cripsとの摩擦が2Pacの死に関与している、というのが彼の説明だ。つまり東西の音楽ビジネスではなく、単純に地元ギャングによる抗争の結果だったというのである。

2Pacの死の真相に新証言!元ボディガードが語る「東西抗争は無関係」

 

最後に現場に駆け付けた警察官の証言です。

彼らが銃撃されたときに、ラスベガスにて夜勤をやっていた警察官、Chris Carrollによる証言である。彼は現場に駆けつけ、銃撃直後の2Pacを保護した。彼の証言はこうである。

撃たれた直後の2Pacはシュグ・ナイトに何かを叫ぼうとしていた。私が何度も「誰が撃ったんだ?何があったんだ?」と聞いても、無視をし続けた。彼はシュグ・ナイトにずっと何かを伝えようとしていた。私を無視し続けたが、急に様子が変わったのだ。発声することに苦労している様子から、急に落ち着いた様子になった。生きるために戦う様子から、「俺はもう駄目だ」という様子になった。彼は落ち着いた状態で私の目を見た。私はやっと協力を得ることができると思い、もう一度「誰がやったんだ?」と聞いた。

彼は喋るために最後に息を吸い、一言私にこう言った。

「Fuck You」

それ言った直後に彼の様態は悪化し、意識を失った。そのタイミングで救急車が到着をし、彼は意識を取り戻すことはなかった。

なんと彼が最期に警官に伝えた言葉は「Fuck You」だったのだ。フッド英語には「Snitch(スニッチ)」という単語がある。スニッチとは、犯罪などを警察に言いつけることであり、フッドにおいてはスニッチはルール違反/仲間を売ることと同じぐらいのタブーとされている。2Pacは自分を撃った敵においても、「スニッチをしない」という理念を突き通したのかもしれない。それか口に出せない存在だったのかもしれないし、もしかしたら警察の仲間という意味で「Fuck You」と伝えたのかもしれない。

2Pacの最期の言葉とミステリー。亡くなる直前に彼が警官に伝えたこととは?

 

正鵠を得ているかどうかは別としてエンターテイメントを操る側としてはそれが途方もない旨みであるということは間違いなく、東西抗争なんてものをメディアがデカデカと煽ったせいで引くに引けない緊張状態を創り上げてしまったと思える節があります。

映画にはない話ですが授賞式で両レーベル銃を携帯して対峙なんてのもありましたがこれもショウの一環?だったのかも。

シュグ・ナイトの大胆発言など亡くなったった2人は今も利潤を上げたい人間に使われているというのは事実です。しかしやってる当の本人達もウマウマだったのは元ボディガードの証言からも分かる通りです。

ドラック・ディーラー出身のヒップホップアーティストは大物だけでも相当いますが、のし上がってクリーンな大金が手に入るとやっかみや妬みを下層から受けるのは想像に難くないですし、ましてや犯罪を厭わないギャングからなら的に掛けられるのもあり得るでしょう。

犯人は挙がらないでしょうし、今後も事あるごとに語り継がれていく闇深い話です。希望としてはシュグとダディ両レーベルオーナーが黒幕だったなんてのを期待しますが。

総評

137分ととても長い映画です。けどこの映画に興味のある人ならダレる所はありません。

2pacの人生を総括して観たいなら絶対オススメです。

視点は彼からみた彼の人生ドラマなので都合よく解釈されているところも多少あります。例えばジェイダ・ピンケット=スミスは2pacは別れの時に詩なんて読まなかったと生きてる本人がツイートしています。


それでもこの映画を評価すべきは2pacという一人のカリスマがどのような軌跡をたどったか初めてドラマ仕立てに創り上げたという点で高く評価したいと思います。

落命せず今も生きていたらと昔から思っていましたが、映像で命果てる姿を見てその思いが多少晴れました。あまりに神格化してましたし。

このオッサンなんでこんなに拘っているのと思われるでしょうが、若い頃、畑違いでしたが弱小Hiphopレーベルに手伝いでトラックを作ってあげてた時、参考にしたのがウェッサイ(G-Funkというやつ)で2pacが一番素晴らしかったんですよ。トラックもフロウもリリックも。

この詩集も持ってました。弟にあげたので手元にはないですが。新訳版が出ているみたいですね。マサチューセッツ州ウースター 公立学校 推薦図書にもなってます。

最後にストーリーの終わりの方でクインシー・ジョーンズの娘と付き合っていたと書きましたが、そのクインシー・ジョーンズが受けた印象のコメントがあります。

クインシー・ジョーンズはマイケル・ジャクソンなどのプロデュースで有名なアメリカ音楽界の重鎮です。クインシー作曲のこの曲は多くの人が知ってるはずです。

私は、娘キダーダと付き合っていたトゥパック・シャクールに接しはじめたばかりだった。彼を知れば知るほどアーティストとして、人間としての並外れた可能性と感性を理解するようになっていた。

彼が1度ベルエアー・ホテルで私と待ち合わせをしていたとき、彼は時間を守り、10時にホテルに着くと「スーツに着替えてすぐに出直します」というメッセージを残したことがあった。彼はたんにアーティスト、あるいは実業家としてではなく、愛する女性の父親として敬意を払って私に会いたいと思った。それは、ヤクザなポーズが神話になり、マスコミやファンには決してわからなかったトゥパックの一面だ。

2pacの誠実な一面を表していると思います。

それではまた!

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